待賢門院

たいけんもんいん

藤原璋子。白河法皇に溺愛され、養父子を越えた関係と噂された。鳥羽院のもとに入内し、運命の子・崇徳幼帝即位と共に国母となったが、彼女の生涯は晴れることのない、侘しいものだったに違いない。せめてもの救いは歌の道で、西行らを友とし、出家の後、仁和寺で四十五歳で崩じた。